メジャーな釣り場ではなく、秘境の野池や、釣り人が少ないフィールドでバスが釣れたとき、上記のように思われる人も少なくないハズ。
僕自身、昔は上記のようなことでコンプレックスを抱えていました。
しかし、霞ヶ浦や相模湖などのメジャーフィールドに通うようになり、改めて思ったことがあります。
それは、
「結局楽しんだもん勝ちだよね。バス釣りは自己評価が大切」
というもの。
どこで釣ろうが、1匹は1匹。
フィールドが有名であろうが、そうでなかろうが、結局のところは自分がどう感じ、釣った魚をどう評価するかが大事だと、僕は考えます。
無名の野池で釣ったバスも、1匹は1匹。釣った魚に誇りを持とう
偶然釣れちゃった50オーバーよりも、狙って釣った30cmのバスのほうが嬉しい。
結局のところ、バス釣りというアソビは、「釣った魚をどう評価するか?自己評価はどうなのか?」がキモになるのだと僕は思っています。
通っているフィールドの知名度に関わらず、「自分がバスを釣った」という事実は変わりません。
大事なのは他者からの評価ではなく、自分自身が釣った魚をどう解釈するか。
昨今は、SNSなどで「自分と他人を比較するゲーム」に迷走してしまいがちですが、他者からの評価ばかりを追い求めすぎてしまうと、メンタル的にもよろしくありません。
僕自身、ツイッターにかじりついていた頃は、かなり苦しみました。
しかし、
●他の人から見て、自分が釣った魚の価値はどうなのか?
…という他人の評価ありきのゲームから、「自分自身のためのゲーム」に集中することで、よりバス釣りを楽しめるようになったという経験があります。
あなたが通っているフィールドは、公式ではないかもしれないし、人が少なくてイージーな釣り場かもしれない。
確かに、秘境の野池や、人の出入りがない秘密のフィールドはカンタンだし、下手すりゃ誰が何を投げたって釣れてしまいます(経験済み)。
だから何だというのでしょうか。
1匹の魚にどんな価値を持たせるかは、あなた個人の”想い”次第でもあります。
サイズとわず、頑張って釣った1匹に誇りを持ったっていい。
釣らせてくれた魚に感謝し、今日という1日を楽しませてくれたフィールドや道具に感謝し、そしてアクションを起こした自分自身を褒めてあげましょう。
あなたが釣った1匹は、釣った場所にかかわらず、”1匹”であるということには変わりありません。
誇りを持とう。
大事なのは他人からの評価ではなく、釣った魚にたいし、自分がどのような評価を下すか、です。
「遊び」の満足度は、自己評価で決まる
バス釣りという趣味は、それを生業としない僕たち一般人にとっては、個人的な想いが重要になる取り組みだと僕は考えます。
ただ単に「魚を釣る」という行為(アソビ)に付加価値をつけてあげられるのは、自分しかいません。
自分自身が釣った魚にたいして、喜びを感じたり、価値があると感じられるのであれば、その魚はあなただけのかけがえのない魚だと言えるでしょう。
サイズなんて気にしなくていいし、フィールドが無名であっても特に問題はありません。
たとえ小バスしか釣れなかったとしても、その1匹が自分を楽しませてくれたのなら、それで十分。
デカい魚は希少性があるため、ついデカバスがもてはやされがち。
僕自身も、小さいよりは大きいほうがいいと考えますが、サイズにかかわらず相手は命ある生き物だということには変わりありません。
「デカい=価値が高い」というマインドは、あくまで人間様が勝手に設けた価値観であるということも理解しておきたいところです。
フィッシングビジネスが僕らに植え付けた固定観念に囚われていては、楽しめるものも楽しめなくなってしまいます。
魚のサイズ問わず、フィールドの有名・無名にかかわらず、自分が釣った魚を「どう評価するか」が、より楽しく遊ぶためのキモ。
バス釣りというアソビは、業界人以外にとっては、どこまでいっても”自己満足”がベースの取り組みなのだと僕は考えます。
自分が満足できたのなら、魚のサイズに関わらず、バス釣りというアソビは成立しているのです。
好きな道具使って、好きなフィールドに通って、魚1匹釣れりゃあそれだけで趣味は成立しているのだ。
まとめ:無名の野池で釣ったバスも1匹は1匹。サイズなんて気にせず、まずは釣った魚に誇りと喜びを持とう。
たとえ無名の野池で釣った小バスだったとしても、その1匹をどう解釈するかで、自分の心持ちは変わる。
その1匹にどんな価値をつけるのかは、他人ではなく自分自身。
サイズやフィールドの知名度とわず、釣って心が満たされたのならそれで十分です。自分を責める必要などありません。
無名の野池で釣ったバスも1匹は1匹。サイズなんて気にせず、まずは釣った魚に誇りと喜びを持とう。
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