ストロング VS フィネス
バス釣りの本質 VS 最先端の釣り
オールド VS 最新
太ライン VS 細ライン
右ハンドル VS 左ハンドル
ハードルアー VS ソフトルアー(ワーム)
バス釣りのユーザー間には上記のような「派閥争い」がある。
なんでも対決させて勝敗を決めようとするのは、どこの世界でも変わらない。
どんなジャンルにおいても勝敗をつけて白黒はっきりさせたがるのは、ある意味、人間という生き物の”性”ともいえるだろう。
ただ、上記の争いは今にはじまったことではない。僕がバス釣りをはじめた20年以上前にも上記のような”謎の争い”はあった。
とはいえ、昨今のネット上ではユーザー間の言い争いは白熱の一途をたどっており、少々ウンザリしてしまう…というお話。
もくじ
- 1 【メンタル管理】バス釣りアングラー間の”派閥争い”にウンザリしたときに読む用の記事 / 「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
- 2 マウント取り、論破を目的とする人とは関わらないほうが身のためである
- 3 言い負けても放っておく。相手のフィールドに立たず、自分の人生に戻るべし
- 4 他人は自分の鏡
- 5 宗教観の違い、価値観の相違がうまれやすい話題はマウントの取り合いになりやすい
- 6 「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
- 7 ●楽しけりゃ、なんだっていいんじゃないの。
- 8 まとめ:【メンタル管理】バス釣りアングラー間の”派閥争い”にウンザリしたときに読む用の記事 / 「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
【メンタル管理】バス釣りアングラー間の”派閥争い”にウンザリしたときに読む用の記事 / 「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
マウント取り、論破を目的とする人とは関わらないほうが身のためである
わかりやすい例でいうと、友達間での煽り合いだろうか。
たとえば、友達同士のなかでも「うわwお前セコ釣りかよwダサw」なんていう煽りもあれば、「ストロング一辺倒かよwマジ場を荒らすだけだわ」「俺3本釣ったわwえ、お前ボウズなの?マジ下手だなw」なんていう揶揄もあったりする。
はっきりいって愚の骨頂である。本人がどんな釣りをしていようと関係ない。
気心の知れた仲間同士ならまだしも、初対面の人間に向かって上記のようなマウントの取り合いをするのはスマートとはいえない。
他人が自分の価値観から外れた行動をしていたとしても、わざわざ否定する必要などないのだから。
こちらの事情に踏み込みすぎる人や、相手の価値観や取り組みを否定したいだけのマウント取り厨と関わると、身のためにならないので注意したい。
相手の不幸を汲み取り、肩を並べて話を聞くことができる。
相手の幸福を願うことができ、相手の成功を喜ぶことができる。
そういう人で在りたいものだ。
言い負けても放っておく。相手のフィールドに立たず、自分の人生に戻るべし
煽り合いやマウントの取り合いは、ティーンのうちや仲のいい間柄なら問題ない。
しかし、それが大の大人同士、しかも初対面同士だとしたら少々問題である。
一般社会にある「誰でも観覧できる場所」で問題行為を行ってしまう、ということに疑問を感じざるを得ない。
誰かに言い負けたり裏切られたりして、悔しい気持ちになったのは痛いほどわかる。
僕自身、これまでに死を覚悟したくなるほどの苦しい経験もあったし、涙すら出なくなるほどシンドい思いをしたことも少なくない。
ただ、相手のペースにはまっては思う壺だ。まずは自分のペースを取り戻すべきである。くれぐれも、自分を見失ってはならない。
相手には勝った気にさせておけばいい。こちらは自分自身の課題と向き合って、コツコツと修練に励むだけで十分だ。
1年後、3年後、5年後、10年後…と月日を重ねていくうちに、相手と大きな差がついていることに気づくはず。
うるさい野郎には言わせておけばいい。勝った気にさせておこう。
こっちは自分に向けられた課題に真摯に向き合い続けよう。
他人に勝利するために生きることをやめ、自分を納得させ、自分を満たすための人生に切り替えようではないか。
他人は自分の鏡
いずれにせよ、某大型掲示板や動画サイトなどのコメントを見ていると、やらなくてもいい”派閥争い”が見受けられ、正直なところウンザリしてしまう。
まるで政治家よろしく、アングラー間の価値観の相違が原因でコメント欄は荒れまくりだ。
そういえば、某有名アングラーに誹謗中傷コメントについて尋ねたことがある。
彼は「あぁ、コメントとかは中学生が書いているだけですから、気にしないことが一番です」といっていた。
たしかに、コメントのやりとりを見ていると、ほとんどキッズが考えそうな内容や返答が多い。
ネット社会では、この返答を大の大人がおこなっていたらまぁまぁ痛いな…と思えるような激烈な内容のコメントの応酬が多発しており、ちょっと目にしただけで頭がクラっとする。
なかにはクールで歪みのない清いコメントをおこなう人もいるのだが、一部の猛烈系アングラーの存在もあり、清らかなアングラーの姿が薄れている。
人間はネガティブな記憶だけ残そうとする習性があるので、ネガティブなコメントはできるかぎり目に入れないように生活したいものだ。
とはいえ、僕自身も頭のなかではクソみたいなことを言っていたりするし、自分のなかに負の部分があるということも承知している。
ネット社会では、僕自身の思考の内面や、自身のなかにある”抑圧されたモノ”がビジュアライズされている、というだけにすぎない。他人は自分の鏡というやつだ。
たとえば、自分自身が「他人にマウントをとらないように気をつけよう!」というルールを徹底していると、マウントをとっている人を批判したくなる…というように。この記事そのものが僕自身の”シャドウ”ともいえる。
自身のなかにある抑圧したモノが表面化されいると反応しやすい。
これは、心理学的には「ペルソナ」だとか「シャドウ」などといわれる。ちなみにゲームの話ではない。
(僕は3~5までクリアした。あのゲームは心理学の応用で作られているので、プレイして損はない。おすすめは4か5だ。ぜひどちらもプレイしてみてもらいたい。)
自分自身の”クソみたいな思考(自身のシャドウ)”を表に出すべきかどうかを考えられる冷静さの有無が、子供と大人の境目でもあるのかもしれない。
僕はよく、大人と子供の違いについて考えることがある。
「なにを口に出すか」の取捨選択をクールにおこなえるか、というのも大人と子供の違いかなと思った。
口に出すべきこと、相手に伝えるべきかどうか、相手を尊重してやり取りをおこなえるかどうか。
心の余裕がないと意識できないことではあるけれど、どこの世界にいっても「思いやり」という心は忘れないでおきたいものだ。
そういえば、僕が贔屓にしているアングラーのインスタグラムがあるのだが、これまでは好意的なコメントが多かったものの、誹謗中傷を書き込む輩が増えたようで、ついにコメント欄が封鎖されてしまった。
ネット社会はほどんど無法地帯。はやく理路整然としたネット法案やルールが決まるといいのだが…。
宗教観の違い、価値観の相違がうまれやすい話題はマウントの取り合いになりやすい
バス釣りのスタンスや取り組みにおいての議論に、正解や真実などない。
人の数だけ価値観があり、明確な正解などなく、人によってベストが大きく変わるからだ。
100%絶対的な答えのない話題にもかかわらず、言い争いを続けていても結論は出ない。
お互いの意見をすり合わせ、歩み寄ることをしなければ、議論は終わることがないのだ。
メンタルケアにおけるコミュニケーションの基本は、お互いの価値観や意見の相違を修正し、フィフティフィフティの状態に持っていくことだとされている。
お互いが相手の意見を聞いて歩み寄るのが大前提となるのだが、ネット社会においての人々のやりとりでは、基本的には「論破」「勝利」「相手をわからせて叩きのめす」に重きを置かれやすい。
相手に勝つこと・論破することを目的としている人と話し合ったところで、こちらとはゴール設定が違うのだから、理解し合えることはないだろう、残念ながら。
「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
いくらこちらが相手の意見を傾聴し認めたところで、相手の目的が「勝つ・論破してわからせる」ということに意識が向かっているのなら、フィフティフィフティの状態には持っていけない。
コミュニケーションにおいて、どちらかが一方的に勝ち、得をし、気持ちよくなるという状態は理想的とはいえない。
しかし、世の中には”話が通じない人”というのも存在する。理想論や綺麗事だけでは成り立たないというのが難しいところだ。
いくらこちらが清い心で「話し合いをすればわかるはず…!」と思っていても、ソレを無下に踏みにじる人も少なくない。
残念なことに、ネット社会にはそういう人が少なからず存在するのだ。いや、ネット社会だけでなく、現実世界においても、だ。
●楽しけりゃ、なんだっていいんじゃないの。
もうセルフブランディングをやめて、”ありのままの自分自身”に戻ろう。好きな釣りを楽しめばいいじゃないか。
アナタの善意をブチ怖そうとしてくる人とは関わるべきではない。メンタルを消耗させようとする輩はスルーしつつ、やりたい釣りや興味のある釣りを楽しもう。
僕は2.5インチの極小ワームを使ったセコい釣りもするし、ストロングな釣りもやるぞ。
太いラインも細いラインも使う。ナイロン30ポンドもフロロ4ポンドも使うぞ。
古めのアメリカンルアーも使うし、最新のジャパニーズルアーだって使う。
楽しけりゃ、なんだっていいんじゃないの。
偏らず、両方楽しんだって誰も怒りゃしないよ。
まとめ:【メンタル管理】バス釣りアングラー間の”派閥争い”にウンザリしたときに読む用の記事 / 「勝つ・論破」を目的とする人とは議論しても平行線のまま
正解がないテーマについての議論は、平行線をたどりやすい。
とくに、ネット社会では相手の顔も年齢もわからず、言葉のみを読み取らなければならないため、ほんの僅かな言葉の使い方にイラっとしやすい。冷静さを保ちながら観覧したいものだ。
アングラー間の派閥争いがコメントとなってビジュアル化されているという点は、バス釣りを衰退させている理由のひとつかもしれないと思った。
新規の人が入ったら、「誰を信用すればいいのかわからん」「うわ、なにこれ…怖…バス釣りアングラー引くわぁ」ってなるんじゃないだろうか。
相手を論破してわからせようとするんじゃなくて、お互いの価値観を認めて、お互いが歩み寄れたらいいのにね。そう上手くいかないのが人間関係でもあるんだけれど。
バス釣り業界の闇の露出やフィールドの減少なども衰退の原因かもしれないけれど、アングラー間の論争も少なからず関係しているのではないか。
少なくとも、僕がガチ初心者だったら、切り抜き動画のコメント欄とか見たら「なにこの世界、怖…やめとこ」ってなる。