【バス釣りで釣れないときに読んで欲しい】あまりにもバス釣りの才能がなさ過ぎて引退したときの話

昔、あまりにもバス釣りの才能が無いと感じたので、持っていたタックルを売り払ったことがある。

レンタルボートに乗り始めて半年から1年くらい経った時の話だが、自分の性格や資質的にも、「オレ、バス釣り向いてねぇな」と痛感させられたので、一時期、バス釣りを引退した。

年間に何百回と釣行し続け、ほぼボウズで終わったり、バスフィッシングのスポーツ性についていけないと感じていたこともあって、さすがに「もう辞めよう」ってなったときの話。

あまりにもバス釣りの才能がなさ過ぎて辞めたときの話

釣れないからつまらないというよりかは、やっていて成果が出ないし、どうも上達している実感が感じられずマンネリ化したのが引退した理由だ。

エレキギターや演劇の技術は、実感として上達を感じられるものであったが、バス釣りという趣味は上達が実感しにくい。せいぜいキャスト精度が上がっているのを体感できるくらい。

「これだけやり込んでるのに全然上達しない」という事実が僕を苦しめた。

年間釣行数が300を超えたり、それを2.3年続けたのに一向に上達しないってどういうこと〜!?

なんてことを叫びたくなるくらい、バス釣りに対するセンスの無さを感じる。

まぁ、今となってはその頃の自分に、「とりあえず続けといて良かっただろ?どれだけ下手くそでも3年以上継続すれば絶対上手くなるから」と言いたいのだが、当時の僕はさすがにメンタルがやられていた(笑)

弁慶堀でデコりそうになって泣きそうになっているとき、目の前で釣りをしている超初心者に釣り負けたときには、完全にメンタルが「ボキっ」と折れた気がした。

自分はガチでロッド揃えたり、パターン解析したり、ルアーにもこだわったりしているのにも関わらず、ノーシンカーワームを適当に放り投げてる初心者に「わ〜い♪なんか釣れちゃった!」なんつって釣り負ける。

そりゃ折れますわな。

こちとらマジで取り組んでいるガチ勢なのに、いきなり初心者にボッコボコにされるんだもん。

自分の腑甲斐なさやセンスの無さに嫌気が差した瞬間、「あ、もうバス釣り辞めよう」と思った。

僕は、バス釣りのセンスも才能も無い、超劣等生である。

「自分の力で考える」が出来ないと、バス釣りは難しい

元々、「自分の頭で考えて行動する」という能動的なタイプでは無いということもあって、ロジカルシンキングが必須であるバス釣りは、マジで向いてないなと思っていた。

さらに、臨機応変の対応も苦手だし、数学的な思考が必須とも言えるバス釣りは、マジで向いてないなと。

まぁ完全に負け犬の遠吠え的な言い訳なのだが、バス釣りには臨機応変の対応や論理的思考が大切になるため、「自分の力で考える」が出来なかった僕はかなり苦しんだ。

そういえば、僕が学生時代の頃、数学の偏差値は20台というクソさだった。

8点とかしか取れないこともあった(笑)算数は小三くらいからついていけなくなる…という体たらく。

理科だけは偏差値60を超えていたけれど、その他の科目に関しては平均以下…という学力なので、論理的な思考が必須の”バス釣り”は、苦手な部類に入る。

タックルやルアーの分析は人並みには出来るかもしれないが、釣りが上手いのかというと…精進あるのみ。

僕自体のスペックが、そもそもバスフィッシングに向いていない作りなので、釣果を上げるには相当な工夫をしないと無理だったりする。

今でこそ、当ブログで釣果自慢っぽい記事を書いているものの、僕は元々(というか今も)バス釣り劣等生。

そんな僕がなぜチョコチョコ釣れるようになったのかというと、ただ単に「学びながら継続したから」というだけに過ぎない。

結果(釣果)が出なくても、楽しいなら続ければ良い。

煽られようがコンプレックスを感じようが、自分が楽しんでいるのなら、それで良いのだ。

あえて”距離”をとる時間も必要

バス釣りから離れている期間は、ソルトルアーをやったり、管釣りをやったりした。

その他にもオートバイなどの趣味をやりつつ、バス釣りとは無縁の日々を過ごした。

この期間が自分にとって好作用を生んだのか、完全に砕けた”バス釣りメンタリティ”をリフレッシュすることが出来た。

バス釣りをしない日々というのは、僕にとって「メインディッシュ」が含まれないディナータイムを体験しているようなものだった。

メインディッシュというモノは、毎日のように食べ続けていると、いつか飽きやマンネリが生まれる。

どれだけ大好物なモノであっても、メインディッシュを摂り続けていると、人生のどこかで不調をきたす。

どれだけ好きなモノ・コトだったとしても、ある程度の距離を取ることは大切なのだと思う。

シンドいときは休養を取り入れて、原点に戻ろう

ところがある日、釣り道具を持たずに何となく野池に散歩に行くと、「またバス釣りがやりたい」と思ってしまったのだ。

キッカケは単純明快で、「ルアーを投げたい!ルアーを操作したい!」と思っただけである。

僕はどちらかというと、バスを釣ることよりも、道具を使うこと自体に楽しみを感じるタイプだ。

「魚が釣りたい」という欲求はそれほど高くないので、ソルトルアーにはあまりハマらなかった。

道具の扱い・嗜好性を楽しめるバス釣りは、ある意味では僕に向いていると言える。釣れないけど。

「野池のオカッパリ」という自身の原点に立ち戻ることで、”見失っていた何か”を思い出すことが出来たのかもしれない。

いずれにせよ、野池のバス釣りが僕の原点であると再確認することができたし、結果(釣果)だけが人を動かす動機とはなり得ないこともあるのだと知った。

結果を出せずに辛い日々が続いたときは、まずは心身をリフレッシュさせることを重視し、原点・初心に立ち戻ることが大切である。

”工夫して学ぶ”を継続し続ければ、必ず上達する

バス釣り釣りは、めちゃくちゃ難しい。

とんでもなく苦手なことに取り組んでいるというのも実感できるし、多分このまま継続しても、フツーのアングラーで終わるだろうなとも思っている。

僕はバス釣り劣等生なので、普通の取り組み方をしていては上達できないし、結果も出せない。

なので、人一倍、取り組み方を工夫しなければならない。

まぁ楽しいので構わないのだが、僕のような凡人・劣等生は、ただ単に漫然と継続しているだけでは上達しない。

では、どうすれば上達するのかというと、「工夫して学びながら継続する」しかない。

エレキギターでも演劇でも、ブログでも何でもいいんだけど、「学びながら継続」するほか以外には、物事を上達させる方法は無い。

センスや才能など無い凡人なら尚更である。

どれだけ劣等生でも、工夫を凝らしつつ学び、継続し続けることで、絶対に上達する。

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継続し続けることによって、ほんの少しではあるけれど、釣れる魚も増えてきた。

こと野池のオカッパリに関しては、明らかに以前よりも釣れる魚が増えた。

学びながら継続し続けること。

工夫しながら「自分の力で考える」こと。

バス釣りを上達させるコツは、『工夫しながら学び、継続する』

コレしかないと思う。

まとめ:結果が出なくても、「楽しい・面白い・興味がある・好き」と感じるなら継続しよう

僕はバス釣りの超劣等生だ。

しかし、継続し続けることで、スレた野池でも50オーバーを釣ることが出来るようになってきた。

どんなに苦手なことでも、継続することで結果を出せる。

そりゃあ、得意なことを継続している人に比べたら、結果は天と地ほどの差になるだろう。

しかし、苦手は苦手でも、好きという気持ちがあるのであれば、学びながら継続し続ければいつか必ず結果は生まれる。

そこに「好き・楽しい!」という気持ちがあるのなら、どれだけ苦手なことでも継続し続ける価値はある。

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