「釣り業界の闇」を知ることも大事だが、騙されていたときのほうが楽しかったかもしれないなぁ…というお話

最近、某動画サイトなどでたびたび目にする「釣り業界の闇」系のネタ。
業界人は遊びではなく仕事としてやっているので、どこかしらに”ウラ”があるのは仕方あるまい。
もちろん、やっていいことと悪いことはある。ただ、利益がうまれないボランティアだけでは飯を食っていくことはできない、というのもまた事実。

がしかし、個人的にも、釣りの経験を重ねるにつれて「業界人、ウソ言ってね?」と思う気持ちが強くなった。
メディアなどで提唱されていることに胡散くささを感じ、より本質的な部分やマインドをもとめるように…。

その一方で、自分のなかから失われたものがある、ということにも気付く。
正直なところ、業界にカネをむしり盗られていたときや、騙されていたときのほうが楽天的で楽しかったよなぁ、と。

B’zの曲の歌詞に、こんな一説がある。

うたぐり深いやつになっちゃったのは

週刊誌のせいじゃない オマエのせいでしょ

でも真実を 知ることが すべてじゃない

(引用:Uta-Net『B’z-Lier!Liar!-』より

楽しめないようになったのは、誰かのせいではない。自分自身のせいでもあるのかもしれない。

「釣り業界の闇」を知ることも大事だが、騙されていたときのほうが楽しかったかもしれない

自慢じゃないが、僕はメディアプロやバスプロなどに影響を受けやすい。
彼らが使っているタックルなども参考にするし、すぐに影響を受けてしまうタイプだ。

ということもあり、バス釣り業界には多くのお金を落としてきた。
ビギナーだったときほど、その傾向は顕著だった。金額にすると1千万は課金していると思う。

しかし、釣り歴が長くなるにつれ、ほんの少しだけ嘘と本当のことの区別がつくようになった。
次第に、メディアなどで大々的に取りあげられる『結果が出るルアー』やテクニックなどから遠ざかるようになり、自分自身の取り組みを大切にするようになっていった。

釣りの経験と年齢を重ねると、釣りメディアを見なくなる。いや、見れなくなってしまう、という表現がただしい。
彼らが嘘をいっているなぁと思うことも増え、プロモーションや特集などを目にするのが辛くなってしまうのだ。

「あぁ、僕は彼らに騙されていたんだな」と思うと、怒りが沸いたこともあった。
業界人はウソばかり言っているし、カネのためなら不正も犯す、なんてひどいヤツらなんだ…と。

しかし、よく考えてみると、彼らも”仕事”でやっているわけだし、彼らにも家族がいる。生活もある。
それに、すべての言葉がウソで塗り固められているというわけでもない。ある程度は仕方ないよなぁとも思ったりする。
自分自身に本質や”ウソ”を見極める能力がなかったのだ、と思うしかない。騙されたくないのなら、東大へ行け!(by ドラゴン桜)、だ。

そこで僕は、しばらくメディアから遠ざかったこともあるのだが、結局は復帰してしまった。
自分が「業界」ではなく『ルアーフィッシング』というアソビに惚れていたのだと気づいたからだ。

復帰後、これからは自分自身が釣れると感じる釣りをやろう、自分が信用できるルアーのみを使おうというスタンスで釣りを楽しんでいたのだが、ふと思うことがあった。

「業界に騙されていたときのほうが、楽しかったかもしれない。少なくとも、今よりはバス釣りを楽しんでいた気がする」

業界に騙されていたときのほうが、楽しかったかもしれない

釣り業界に”闇”があると気づいた。
しかし、その一方で、”闇のなか”にいたときのほうが、毎日ワクワクしていたとも感じる。

なぜだろう。
騙されているとは知らず、多くのお金を業界に落とし、費用の捻出にヒィヒィ言っていたときのほうが楽しかった気がする。

現在は、バス釣りに無駄なお金を使わなくなったが、なんとなく自分の釣りがつまらなく感じる。
好きなアングラーの格好やタックルを真似して、”ごっこ遊び”のようなスタンスで取り組んでいたときのほうが楽しかった気がするのだ。

こういった取り組みを「コスプレ」などと揶揄する人もいるが、”コスプレ”することで現実の世界から非現実の世界へとジャンプすることもできるため、一概にも馬鹿にできない。

推しのアングラーが提唱するテクニックを模倣して、「オレ、〇〇プロっぽくて格好よくない?」なんていうふうに楽しむ。これが楽しかった。

子供のころは、意識が非現実のなかにいる。
しかし、大人になるにつれ、意識は常に現実にいる。

釣り業界の闇を知ることで、非現実のなかにいた自分が、いきなり現実へと戻されてしまったのだ。

釣りが上達するにつれて、模倣していたアングラーから巣立つようになった。
と同時にうまれたのは、心にポッカリと開いてしまった虚無感だ。

オレはただ楽しみたかったからバス釣りをはじめただけなのに、成長・向上・本質・結果ばかりを追い求めるようになってしまった。
おまけに「釣り業界の”闇”」の露出だ。ゲンナリしてしまう。

たしかに上達したかもしれないが、はっきりいって、以前よりもバス釣りを楽しいとは感じなくなったし、正直いって苦しい。つまらない。
次の休みは天気もよさそうだし、釣りに行こうかな…と考えると、気持ちがズンと重くなる。

これでは趣味ではなく”仕事”と変わらない。
息を抜くための趣味が”仕事”になってしまっては本末転倒ではないか。

以前よりもウデはあがった気がする。しかし、”業界の闇”とやらに騙されていたときのほうが輝いていた気もする。
なにもわからないビギナーだったときのほうが楽しくて、上手くなるにつれてつまらなくなる…というのは何だか皮肉な話だ。

釣り業界の闇を知ることは大切だとは思う。
しかし、本質や事実、裏側ばかりを追いもとめてばかりいると、自分のなかにあった童心を切り裂くことになりかねないとも思った。

現実と非現実、大人と子供のマインドをうまく切り替えて、楽しい釣りを心がけたいものだ。

真実を知りました。「じゃあ、これからどう取り組む?」と考える

物事の本質を知ることは大切なことだ。
本質を見抜けないと、上っ面だけの言葉や態度に影響されてしまい、相手の意図に振りまわされるハメになる。

その一方で、あまりに”疑り深いヤツ”になってしまうと、楽観的になれなくなる。

〇〇プロが不正を犯した、だとか

プロたちはプラクティスや現地ガイドを雇ったうえで釣りをしている、だとか

雑誌・メディアは釣り具を売るための広告にすぎない、だとか

ルアーなんて結局はなんだっていいっぽい、だとか

セコ釣り、ストロング、オールドスクール間の派閥、だとか

メイド・イン・ジャパン表記だけど、実は製造は海外で組み上げだけ日本、だとか

ルアーの原価はすげぇ安い

この世には、知ってしまうことでゲンナリするような胡散臭いものがたくさん漂っている。

騙されないためには自分の経験なり技術なりを身につけるしかないのだが、疑ってばかりだと常に気を張ってしまい、心身を消耗してしまう。もちろんこれも体験談だ。

釣り業界には”闇”がある。残念ながら、これは事実だ。

さて、そのうえで、自分はどう思うのか。考えたい。

「闇」を知ったうえで、自分をどう切り替えるか

自分のなかで、いくつかの選択肢があった。

●バス釣り業界に嫌気がさし、釣り自体を引退する

●「まぁ、そういうもんだ」と納得し、そのうえで自分がどうしたいのかを考える

●確信犯的に、「またまたーwバス業界は胡散臭ぇんだよなぁwでも面白そうだから買っちゃう!楽しいでーす!」と開き直ってしまう

●別の釣りジャンルに移動する

●あらたな趣味を開拓する

結局のところ、どんな趣味にいこうと、誰かはウソをついて騙そうともするし、あるいは本当のことも言っている。見極めが大切だといえる。

また、「娯楽業界なんて、まぁそんなもんさ。彼らの目的はカネとドーパミンと中毒性だろうから」とクールになることだってできる。

いずれにせよ、業界そのものではなく、自分自身をコントロールする意識を持たなければ、どんな環境にいっても楽しめない。

僕は、オートバイや熱帯魚、演劇、ギター、釣り全般、一眼レフ、筋トレ(ボディメイク)、テレビゲーム…などなど、いろいろなことをやってきたが、自分のマインドが変わらないかぎり、現状はなにも変わらないと痛感した。

「釣り業界の闇」を知ることも大事だが、騙されていたときのほうが楽しかったかもしれないなぁ…というお話|まとめ

釣り業界には間違いなく”闇”も存在している。だからこそ、事実をしっかりと受け止めたうえで、自分はどうしたいのかを考えたい。

他人をコントロールすることはできない。
業界をコントロールをすることもできない。

コントロールすることができるのは、自分自身のマインドだけである。

文句を言うだけなら誰にだってできる。
自分を被害者だと認識し、リベンジすることだってできる。

かつて僕は、釣り業界にたいして怒りを覚えたこともあった。
しかし、それは本当に自分がやるべきことなのだろうか、と思い直すことでマインドが切り替わったように思う。

自分がどうしたいのか。今、自分に向けられている”課題”はなにか。
まずは、そこをクリアにしていくほうが建設的だと学んだ体験談だ。

業界の闇を知って萎えた。
なるほど、業界人はウソもついているのか。
じゃあどうしようか。
やめるか、続けるか。ほかのことをするか。考え方を変えてみようか。

こう考えるだけでも、自分が変わるんじゃなかろうか。

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