フワっとした感じでツイッター再開してみます。
— たま@まいんどくえすと (@tamacoro0218) March 14, 2021
「ちょっと久々にツイッターでも再開してみるかな♪」とカジュアルな気持ちではじめてみたのですが、あまりにシンドすぎて死ぬかと思いました。
1年おいてから再開してみたものの、やっぱりツイッターは”ヤバい”のかもしれないなと感じた次第です。
もくじ
ツイッターを1日だけ再開したら死ぬかと思った。SNSはマジでシンドいと再確認した
春のぽかぽか陽気になびかれて気分を良くし、気まぐれでツイッターを再開してみたところ、あまりにもシンドかったです。
SNSは人間の承認欲求を満たす「ドーパミン発生装置」だと耳にしたことがありますが、どうやら間違っちゃいないな、と。
具体的に何が辛かったのかというと、以下のような理由になります。
●あまりにも情報量が多く、取捨選択にメンタルを持っていかれる
●日常生活が「SNSありき」になってしまう
●気がついたら「いいね」欲しさに、下心があるツイート(とブログ記事)を書こうとしてしまう
●私生活が「いかに”いいね”を得るか」というメンタリティに侵される
あまりにも情報量が多く、取捨選択にメンタルを持っていかれる
1スクロールしただけで、脳に入ってくる情報量がヤバいです。
「釣果、幸せ報告、リア充報告、事件、ネガティブ」などのさまざまな情報が1スクロールしただけで多く入ってくるので、僕の脳では処理しきれなかったっす。
「〇〇さんが”いいね(RT)”しています」みたいな関連ツイートも入ってくるし、尋常じゃないレベルの情報が一瞬にして入ってくるんですよね。すげーシンドい。
情報の取捨選択をクールに行える頭の良さがなければツイッターは活用できないな、と再確認しました。
あと、SNSは外的要因に影響をうけやすい人も向かないのかもしれませんね。
いわゆる「HSP」と呼ばれるタイプの人は、上手に使わないとSNSに人生を持っていかれちゃうのかも…?
日常生活が「SNSありき」になってしまう
私生活において、何かしらの行動やイベントを起こそうとした際、つい「このイベントをツイッターに上げよう。どれくらい”いいね”がつくかな」という思考にもなりやすかったです。
ボーっとしているときですら、「このツイートをしたら”いいね”がどれくらいつくか、つかないか」みたいな思考になっていたので、ツイッターにライフスタイルを占領されそうになりました。ヤバい。
思考・行動・選択含め、気がついたら1日の”意識”の大半をツイッターに持っていかれていたので、こりゃマズいぞといった感じでフワっと停止させて頂きました。すみません。
私生活が「いかに”いいね”を得るか」というメンタリティに侵される
無意識のうちに、ライフイベントをツイッターと繋げようとしている自分もいました。
たとえば、釣りに行こうと計画を立てている際にも、「〇〇で釣ったら”いいね”はどれくらいつくだろう」とか、「ボウズになったらどうツイートしようか」とか、「こんな取り組み方をしたら話題になるかな」など、行動選択の基準がツイッター中心になっていたんですよね。
別にいいじゃんと思われるかもしれませんが、なんかコレって「ツイッターありき」な生き方になっているんじゃないかと違和感を感じたので停止した次第です。
たった1日でこの状態なので、もし長いこと継続していたら…と考えると、ちょっと僕にはツイッターは活用できませんでした。
まとめ:ツイッターをはじめとするSNSは、豆腐メンタルの人間にとっては”ヤバい”ツールかもしれない
SNSを使って楽しんでいる人ってすごいなぁと思います。
1年ほどおいてツイッターを再開してみましたが、精神がイカれそうになったので1日で停止した…というお話でした。
器用にツイッターを使いこなしているブロガーには憧れてしまいますが、憧れと現実は違ったのだ。
【こちらもお役に立つかもしれません】