初心者のうちからいきなり大きな結果を出そうとすると、もれなく失敗する。
はじめのうちから成功者のように結果を出せるはずだ!などと思っていると、だいたい挫折する。
巷では、才能・向き不向き・長所短所などで仕事や趣味をえらべば成功する!などといわれる。
自分はまだ初心者であるにもかかわらず、なぜいきなり結果が出ると思っているのか。出るはずがないのに。
その背景には、漫画脳・ゲーム脳だったり、才能・適性ビジネスのワナが存在しているのではないか、というお話。
もくじ
【メンタル管理】才能・適性思考の罪。最初からうまくやろうとしないこと。才能・適性のせいにしない
僕は過去、プロ俳優や作曲家として活動していたことがある。
お金をいただけるくらいには上達したが、そんな僕でもはじめのうちはクソみたいなレベルだった。
人前で演奏できるような代物ではなかったし、そもそも人前に出ること自体が苦手だった。
今でいうところの「陰キャ」という人間だったから。
しかし、続けていくうちに上達した。そんなもんだ。なにごとも”慣れ”なのだろう。
はじめたばかりのうちから、いきなり結果を出せるスーパーマンなど存在しない。
にもかかわらず、僕たちはつい「才能・適性があるならすぐに結果を出せるはずだ」などと思いこみがち。
なぜか。才能ビジネスの影響だろう。あとは漫画・アニメ・ゲーム脳。
はじめから上手かった人など存在しない
テレビゲームや漫画などでは、主人公が秘めた才能を持っていて、初心者のうちからいきなり目覚ましい結果を得られるようなエピソードが多数存在する。
しかし、現実でははじめから上手かった人など存在しない。
初心者のときにビギナーズラックでいきなり大きな成果を出すことのできた人もいない。
イチロー、大谷翔平、モーツァルト、リック・クラン、キース・リチャーズ、ザック・ワイルド・鳥山明…などなど、成功している著名な人たちでさえ、はじめからいきなり大きな結果を出せたわけではない。
たとえば、元NBA選手のマイケル・ジョーダンは過去、「お前にはバスケットは向いていない」と言わるほどの劣等生だったらしい。
しかし、経験を重ねるうちに結果を出せるようになった。
漫画家の鳥山明は、懸賞金を目当てに週刊誌へ投稿したが、はじめのうちは落選が続いた。
ビギナーズラックで、初心者のうちからいきなり望んだ成果を出せる人など存在しない。
あるとするなら、釣りやギャンブルなど、運要素の絡むものくらいだろう。
もしかしたら僕たちは、漫画脳・才能ビジネスに影響されすぎているのかもしれない
僕たちは幼い頃から漫画やアニメ、学校教育に触れてきた。
ある意味、僕たちの脳は漫画脳であり、才能・適性ビジネス脳に影響を受けすぎているのかもしれない。
たとえば僕たちはなにかをするにあたり、以下のように考えてしまいがちだ。
「初心者であっても、才能があればはじめのうちから結果を出せるはずだ」
「自分に合ったものを選びさえすれば、血反吐を吐くような努力などせずともどこかでかならず成功するはずだ」
「今の自分が結果を出せていないのは、環境や仕事、人間関係、向き不向き、才能のせいだ」
もしあなたが漫画やアニメを好いていたり、さらにビジネス書なり自己啓発本なりを読んでいるなら、今の考え方は適切なものではないかもしれない。
僕らはつい才能や向き・不向きだとか、環境のせいにしがちだ。
それには前提として、「才能があるなら初心者のうちからでもいきなり良い結果を出せるはずだ」というメンタリティがあるからだろう。
僕は、才能・適性うんぬんについて書かれた本にまどわされすぎなのかもしれない。
うまい話を過信しすぎると、人生は良からぬ方向へ進む
多くのビジネス書や自己啓発本では、向いている環境や仕事に出会えさえすれば、誰でも成功できる〜などと書かれている。
そういうモノをクソ真面目に間に受けすぎてしまうと、人生は良からぬ方向へ進んでしまうのではないか。
少なくとも、僕はビジネス書や自己啓発本を参考に生きてきたが、人生は望んだ方向へは進まなかった。
むしろ、なにも参考にせず、ちいさなことをコツコツと積み重ね、自分のチカラで試行錯誤したほうが上手くいくとさえ感じている。
ある日、僕はふと思った。
「なぜ大前提として、初心者のうちから結果を出せると思い込んでいるのだろう」と。
「僕は漫画脳や自己啓発脳になっているのかもしれない」と。
同時に、自分の考えが少々甘いのではないか、と気づいた。
●才能さえあればうまくいく
●環境さえ整っていれば成功できる
●向き不向き・適性さえ把握していれば人生安泰
●自分のことをすべて理解さえすれば、かならず成功する
●自分以外の外的な要素(カネ・車・家・社会的地位などの社会的所有物)が揃っていれば幸福になる
こんな考えのほとんどは、才能ビジネスによる妄言なのではないかと考えた。
少なくとも僕は、なにかしらの才能ビジネスの影響を受けて成功した人など、ひとりも見たことがない。
成功している人のほとんどは、はじめから上手くいったパターンなどない。若いころには皆苦労している。
自慢ではないが、僕の叔父は海岸の一部を買い取るレベルの超大金持ち社長だ。
しかし、会社を立ち上げてからしばらくは死にたくなるほど辛かったようで、会社が軌道に乗りはじめたのはここ最近の話らしい。
彼が成功するまでに、実に30年もかかっている。30年だ。
どれだけ成功している人でも、裏では地道な苦労や血反吐を吐くレベルの辛い体験をしているというわけだ。
「簡単に成功しちゃった」だとか「半年〜1年でフォロワー爆増!収入も超アップ!」などとアホを抜かす著名人の戯言など、聞く耳を持たないほうが身のためだといえる。
「才能・適性さえあればうまくいく」という固定観念に囚われるな
すべての物事において、いきなりなにかの才能が開花するなんていうことは、まずないと言って良いだろう。
ものすごく当然のことなのだが、意外と気づいていない人は少なくないのではないか。
●どこかの環境に行きさえすれば、自分は成功する
●才能さえあれば、自分の人生はバラ色
もし上記のような観念に洗脳されているなら、むしろ人生はうまくいかないのかもしれないなと思った。
ちょっとでも失敗したら、才能・適性のせいにするのはおかしい?
たとえば、貴方があたらしい趣味をはじめたとする。
ギターを例にするとわかりやすいだろう。
多くのビギナーは、はじめのうちに「Fコード」で挫折する。
Fコードは初心者の鬼門とも呼ばれ、ここを乗り越えられるかどうかがキモになるのだが、ここにワナが潜んでいる。
ギター初心者は障害にぶちあたると、「自分にはギターの才能などないんだ」だとか「やっぱり向き不向きがあるよ」などと落ち込んでしまいやすいのだ。
はじめからギターを弾くことのできるギタリストなど存在しない。
にもかかわらず、つい才能や適性などで自分を判断してしまう。昨今はその傾向が顕著だと思う。
なぜなら、才能ビジネスや適性・適職、成功などのコンテンツがネット上に台頭しているからだ。僕らはそれらに影響を受けすぎている。
Fコードは押さえるためのコツがある。
コツコツと地道な練習さえすれば誰にでも弾けるようになるのだが、才能・適性のせいにしてしまう人も少なくないだろう。
なぜか。
ものごとに取り組む際の前提に、「才能があるとうまくいく」「適性のないものは上達しない」という固定観念があるからだ。
僕たちは仕事を探すときも、才能や適性などをベースに考えてしまいがちだ。
その一方で、それらを理由にものごとを悪い方向へとも考えてしまいやすい。
ちょっとでも失敗したら、才能・適性のせいにするのは僕の悪いクセなんだよなぁ。
うまくいかないのは、本当に自分の才能によるものなのだろうか
うまくいかないのは、本当に自分の才能によるものなのだろうか。
僕はそうは思わない。
ただ単に、やるべきことが見えていないからではないか。
あるいは、積むべき経験を蔑ろにしたり、障害から逃げているだけなのではないか。
もちろん、才能・適性は把握していないよりかは把握していたほうがいいだろう。
しかし、なにかにつまずいたときにも、才能・適性のせいにして逃げてしまうのは、あまりにも勿体無いのではないかとも思う。
自分の心のどこかに「やってみたい、チャレンジしてみたい」という思いが少しでもあるのなら、才能・適性などひとまず置いておき、まずは自分のペースでやってみたほうがいい。
自分が死んだとき、他人のせいにしても誰も責任をとってくれない。
心の情熱とカラダの動くうちに、やれることはやっておいたほうがいい。僕はそう思う。
まとめ:なんでも才能・適性のせいにするのは、ある意味「逃げ」なのかもしれない
才能・適性・向き不向き・長所短所などに振りまわれていると、自分の内的なエネルギー(エモーション・パッション・情熱・内的モチベーション)を蔑ろにしやすいので注意したい。
そういえば、なにかの本にこんなことが書いてあった。
どこかに自分の可能性を残していると逃げることができる。
だから人は、才能や適性のせいにしてやるべきことから逃避するのだ。
なるほど、たしかにその通りかもしれない。
余談だが、音楽家のモーツァルトに興味深いエピソードがある。
実は、彼が幼少期のころに作った曲のほとんどは、父親が手がけたものだったという話は有名らしい。
父親も作曲者だったらしく、モーツァルトが幼かったころから編曲を手伝っていたようだ。
しかも、多くの楽曲はほかのアーティストの曲の焼き増しだったという話もある。
モーツァルトは神童とも呼ばれていたそうだが、実際はそれほどでもなかったというのが昨今の研究によりわかっている…とのこと。
初心者のうちから、いきなり才能が開花するなんていう奇跡は起きない…というわけだ。
僕たちは、「環境さえ変われば自分だって成功できるはずだ」とか「少しでも才能があるなら、初心者のうちから大きな成果を出せるはずだ」などと考えがちだ。
その背景には、「才能」をテーマにしたビジネスの影響や、優劣思考を学ばされる学校教育なり親の思想なりが関係しているように思う。