幸せの”中”にいるときは、幸せに気づくことはできない / ダイエットをしなければならない環境=めちゃくちゃ幸福

あなたは、雨風をしのぐことができる今の状況を、幸福だと感じられるだろうか。

幸せの”中に”いるときは、目の前にあるちいさな幸せに気づくことができない。

なぜなら、その状態が自分にとって「あって当たり前」だと思い込んでいるからだ。

たとえば、僕たちは蛇口をひねれば水がでる環境に住んでいるけれど、それを「あって当然。それが普通」と考える人が多いだろう。

しかし、失ってから大切だったことに気づくというパターンはよくある話だ。

”蛇口の水”を親なり友なり家族なりに置きかえると、どれだけ大切なものなのか気づけるはずだ。

失ってから気づくのでは遅すぎる。しかし大抵は、失ってから幸福であったことに気づく。

いま僕たちが(それなりの不満を抱えながらも)当然のように暮らしている生活のなかには、幸せがいくらでも転がっているということに気づかなければならない。

幸せの”中”にいるときは、幸せに気づくことはできない

僕たち人間は、理想に向かって努力を続けるドリーマーみたいなものだ。

人間という動物は、いまの環境に不満をもちながら、もっと理想的な自分で在りたいと願うストイックな生き物だといえる。

しかし、その向上心がときとして自らを破壊する刃となり、心身を傷つけてしまうこともある。

「欲望と競争にまみれた欲求不満のニンゲン」状態になっていると、目の前の光景にあるであろう”小さな幸せ”を蔑ろにしてしまいやすい。

僕たち人間は、一般的にはほとんど幸せな暮らしができているのだ、ということを忘れている。というか気づけていない。

たとえば、以下のような”中”にいる状態は、とても幸福であると気付きたい。

雨風をしのげる家に住める

3食しっかり食べることができる

お風呂に入ることができる

いつでも蛇口から水が出てくる

インターネットで娯楽を楽しめる

家族団欒の時を過ごせる

車を所有できる

選り好みしなければ仕事がある

テレビゲームができる。飽きたら中古ショップに売って何割か戻ってくる

たくさんの娯楽を楽しめる暮らしが送れている

自己実現に向かって苦労なり努力なりを行える(衣食住が安定している)

家族がいる(信用できる人間なりペットなりが周囲に1人でも存在する)

なんと恵まれた世界だろうか。

上記は多くの人にとってごく当然なことだと思われているが、自らが幸せの”中”にあるときは、上記が「あって当然のもの」になる。

あって当然・それが普通…という状態にあるうちは、それらが本来なら幸福なものであるということに気づくことができない。

また、己の欲求に飲まれていたり、見知らぬ”誰か”と競争してしまっていたり、戦わなくてもいい人間と戦っていると、目の前の光景のなかにある”ちいさな幸せ”に気づくことができなくなってしまう。

この記事を読んでくれているということは、インターネットを使うことができる環境にいるということだと思うが、実はそれすらもめちゃくちゃ幸福なことだ。

本当はとてもありがたいことであるのに、贅沢しなければほぼ不足なく生きていくことができるのに、僕たち人間は多くの富や名声、他人からの承認を追いもとめてしまうばかりに、目の前にある幸せに気づくことができなくなってしまう。

僕たち人間は、つい無いものねだりをしてしまう。

やれ「〇〇が出世した」だとか「〇〇がいい車を買った」だとか「〇〇がたくさんのフォロワーを得て人気が出ているのに、私ときたら…」なんてふうに、自分と他人を比較してしまいがち。

そんな状態のときほど、目の前にある小さな幸せを見過ごしてしまうのである。

僕たちはいい加減、他人と比較することをやめて、「目の前にある小さな幸せ」に気づかなければならない段階にきている。

ダイエットを迫られる状況=めちゃくちゃ幸福

自分自身が本当は幸せである、ということに気づくのはなかなか至難の業である。

よほどな不幸を体験するか、あるいは地獄から這いあがるか、あるいは「あって当然」だった者(物)を失うかでしか、『幸せ』を認識することは難しい。

しかし、ダイエットで例えるとわかりやすい。

「ダイエットで成功している人間が羨ましい。ダイエットが苦しいから辞めたい。糖尿病予備軍になってしまったから不幸だ」

ではなく、

「ダイエットをしなければならないほど食べることができ、本当は超幸せな暮らしができていたんだなぁ。すげぇ贅沢をしていたから太っただけだ。節食しよう」

と考えるのが合理的だといえる。

よく考えると、ダイエットをしなければならないという状況って、めちゃくちゃ幸福なことだ。

太れるだけの量を食べることができるわけだから。

ダイエットは贅沢病。

ひと昔前までは「肥満は幸福の象徴」とされていたのだと知っておくと、肥満は幸福な証なのだとも解釈できるだろう。

24時間、いつでも物を食べられる。

なんという贅沢な世界だろうか。

高級品を食べることができなくてコンプレックスを感じることもあるけれど、基本的には贅沢をしなければ食いっぱぐれることはほとんどない。

冷静に考えると、いまの僕たちはとても幸せな世界に暮らしているのだということがわかる。