もくじ
成功する方法(ノウハウ)コレクターになると失敗しやすい
ノウハウばかり集めていると、リアルの自分が積み上げるべき経験を積めなくなる
成功者の体験談やテクニックを丸暗記することで、自分の意識・知識だけが先行してしまいやすい。
僕はこれまでに自己啓発書やビジネス書、心理学書を数百冊は読んできたが、マジで意味なかったと思っている。
もちろん全てが役に立たなかったワケではないが、だいたい8~9割くらいは自分自身にとって再現性のあるテクニックではなかった。
等身大の自分自身が積むべき経験は、自分で見つけるしかない。
成功者がいくら「〇〇するとうまくいく!」と言っていても、そのパターンは自分に当てはまるものとは限らないのだと学んだ。
「地道にコツコツ」というと、ものすごく効率が悪いように聞こえるし、遠回りしているんじゃないかと感じられることもある。
しかし、一見遠回りしているようでも、実はその取り組みが「自分にとっての」最短ルートだったりするのだ。
僕はこれまでの人生の中で、エレキギター講師をしてきたり、プロの舞台俳優の仕事も経験してきた。
その経験の中で、成功者のノウハウや、ネットに溢れる情報を頼って上手くいったことなど、ほとんどない。
また、趣味であるバスフィッシングに関しても、同じことがいえる。
「どこかの〇〇さんが、こう言っていたからやったら大きい魚が釣れた!」みたいな経験は、ほとんどない。
最終的に、どうやったら上手くいくのかは、自分自身のチカラで試行錯誤してたどり着くしかない。
このブログではノウハウや基礎知識の紹介を書いているが、それらはあくまで超基本であって、最終的には読者さん自身が行動して、自身で判断して、自身のチカラで成功するのが正しい”道”だと思う。
ただ、上手くいっているときほど、「自分で感じ、自分で考え、1つ1つコツコツ積み上げる」という非効率な取り組みをしているのは、紛れもない事実である。
「知っている」のと「実行できる」のは違う
近年はブログやユーチューブなどで、多くの成功者のノウハウを見聞きできるようになった
たとえば、なにかしらの初心者は、そういった情報を自分の中に積み上げていくことになるわけだが、個人的にはここに上達するための”罠”があると思っているし、実際に何度も騙されてきた。
というか、僕個人には再現性がないものばかりであるということに気付かされた。
「知識」というものは、実行するための必然性を理解し、それを使いこなすための技術(身体的な意識)が身に付いているからこそ真価を発揮する。
しかし、ただ単に有名人が提唱するテクニックを丸暗記しただけでは、それは「知っている」というだけにすぎず、「実行できている」という状態とはいえない。
知識を「知っている、理論も把握している」のと、「知っているうえで、身体をとおして実行できる」のは、同じようであってちょいと違うように思う。
たとえば、昼間のワイドショーでは、有名な芸能人が批判的なコメントを発しているが、では彼らに国を動かすほどのチカラと実行力はあるかというと、必ずしもそんなことはない。
テレビを見ていると、「だったらアナタがやってみればいい。議員になり、国を引っ張ろうとするだけの実行力があるか」と言いたくなるが、彼らはただ仕事として”そういうポジション”に立って過激なコメントをしてくれ、とディレクターから指示を受けているだけにすぎない。たぶん。
彼らは、「知識」を理解し、「理論」も学び、議論もできるし、議論でマウントをとるテクニックもある。
しかし、「では実際にアナタが国を動かすための行動をとってみろ」といわれたら、おそらく実行できないハズだ。
みな、安全な場所から矢を放っているにすぎない。
みな、自分の社会的な地位が揺るがないであろうポジションに立ち、自分にとってメリットになる発言をし、もっともらしい正論を並べたて、自分自身の役割を全うしようとしているだけである。
他者や出来事を批判することは誰にだってできる。
しかし、「では、それを実行できるか」といわれると、おそらく多くの人はできないだろう。
いつまで経っても国が変わらないのが、それを物語っているような気がする。
知っていて、理解して、それを実行できるからこそ、自分のチカラになる。
「知っています、理論もわかります」だけだと、物事を自分なりに上達させることは難しい。
レベル1からいきなり50に飛び級しようとするのは危険
ネット上に溢れる情報、成功ノウハウを「知っている、理解している」だけでは、自分の身にならない。
最後の段階である「実行」できてこそ、はじめて自分自身のチカラになる。
また、「ノウハウ、情報、成功法則、上達する近道」ばかり集めて(暗記して)いると、レベル1からレベル2に上がるために行うべき経験がボヤけてしまうというリスクも生まれやすい。
成功者の体験談は、レベル50くらいの人でないと実行できないノウハウである場合だってあるからだ。
たとえばドラクエでいうなら、まずはスライムを倒してすこしの経験値を積むレベルであるにもかかわらず、いきなりドラゴンを倒そうとしている状態…みたいな。
いきなり大量の経験値を狙うのは、あまりにもリスキーすぎる。
なにをやるにしても、自分のあげた成果にガックリしてしまいがち。周囲とくらべ、下手くそすぎる自分の実力に嫌気がさしてしまいやすい。結果、なにも続かないという負のループにも陥ってしまう。
レベル1の段階で、とある王国の有名な戦士のテクニックを聞いただけでは、ドラゴンを倒すことはできない。
まずは、地道にコツコツとスライムなりドラキーなりを倒しつつ、とりあえずレベル3を目指す。
どんなジャンルの初心者であっても、いきなりレベル50のモンスターに挑もうとすると挫折する。このゲーム、クソゲーじゃんってなっちゃう。
よく、ゲーム好きの弟との会話で、『知識、理論だけは一丁前の「脳内元帥」が多いよね』という話題があがる。
なにかの初心者ほど、ノウハウや上達方法のみを丸暗記した”脳内元帥”になりやすいよね…なんていう風な形で使うのだが、昨今のネット社会では「知識と理論で武装した初心者」が増えているような気がする。僕自身も含め。
「知っている」
「理解できる」
「それを実行できる」
この3段階を経ることでこそ、経験は自分自身のチカラとなって積み重なるのだと僕は思う。
ユーチューブやネット記事などを読み漁る日々がつづくと、自分の技術はレベル1であるにもかかわらず、さもレベル50くらいになったかのような錯覚に陥ってしまいやすい。
僕自身、趣味や仕事についてサーチしまくっていた時期もあったが、思考だけが先走ってしまう「脳内元帥」状態に陥ってしまいやすかった。少し前には『意識高い系』などと揶揄されていた状態だ。
昨今のノウハウ社会では、脳みそだけが先走ってしまいやすいと感じる。
著名人、有名人などの権威者たちが提唱するノウハウを鵜呑みにしてしまうと、前述した「知っている。そして理論もわかる。でも実行できる技術はない」という罠にハマってしまいやすいので注意したい。
まとめ:他人にとっての成功方法は、自分にとっては失敗するパターンかもしれない。情報を鵜呑みにしすぎるのも考えものだ
自分自身が1歩さきに進むための方法は、「自分自身で考え、経験として積み上げていくこと」だと僕は考える。
一見チョー遠回りに見える取り組みだが、昨今の情報過多な世界では、「自分自身がとるべき1歩」すら見えなくなってしまいがち。
『めっちゃ非効率だし、時間もかかるし、ダルい』
でもそれは、実は自分にとって”最短で上達するための方法”だったりするのだと痛感中である。