雑記です。
もくじ
9月から10月にかけての「そろそろ秋が訪れますよ」感は、心地よい。
秋のバスフィッシングは面白い。
いや、正確に言うなら「心地よい」になるだろうか。
30℃を超える日が減っていき、水温も下がり、湿り気まじりだった空気に透明度が増していく。
この感覚が、心地よい。
そろそろ、夏が終わる。
今はもう既に「残暑」。
「残暑」というと何だか切ない気分になるのは、僕だけだろうか。
「夏は暑いからシンドイんだよなぁ」
30歳を超え始めてから、夏に対してネガティブな気持ちを抱くようになった。
やっと去ってくれた、シンドイ「夏」くん。
しかし心のどこかで、「あ〜あ、今年もあっという間に夏が終わっちゃった…」と寂しがっている自分も居る。
わがままな生き物だなぁ、僕は。
「大好き」が「面倒くさい」になっていく
幼い頃は毎年の夏が楽しみで仕方なかった。
…が、年を重ねるにつれあれだけ待ち遠しかった「夏」に対して、ほんの少しだけ嫌悪するようになった。
僕が幼い頃、周りに居た大人達は、毎年夏になると、
「あぁ、今年もまた暑苦しい夏がやってきてしまった」
などと言いながら息苦しそうな表情を浮かべていたけれど、僕自身もその内の一人になりつつあるのだと感じている。
あれだけ大好きだった夏の時期が、歳を重ねていけばいくほど「やってきて欲しくないもの」になっていく。
自分の中で、「大好き」だった夏が、「もう別にやって来なくてもよい」存在になっていく。
季節の進行とともに移り変わっていく、自分自身の心情。
嫌いになんかなりたくないのに、大切な「夏」という季節を、事務的に受け止めるようになっている自分が居る。
しかし、釣り雑誌や番組などで、「巻物」の釣りが紹介されるようになると、「夏はもうとっくに過ぎてしまったんだな」と切なくなったりもする。
我ながら、暑い暑いと言ったり、寒い寒いと言ったり、切ない寂しいと言ったり、忙しいヤツだなと思う。
夏から秋への移り変わりは、1年に1度しか味わえない
9月に入ると、むさ苦しい猛暑日は少しずつ減っていく。
8月から9月、そして本格的な「秋」へと突入する10月…この流れが好き。
この感覚は、1年の中で1度しか味わうことができない、当たり前だけど。
9月の状況変化の流れは、実は「レアモノ」なのだ。
あと何回、「レアモノ」を味わえるのだろうか。
四季の移り変わりを楽しむ
3月くらいからの「これからどんどん気温が上がりまっせ!楽しい時期がやってくるぜ!」という上昇感も心地よいが、8~10月にかけて、気温が下降していく過程も心地よい。
気温、水温、湿気がどんどん下がっていき、季節が進行するにつれ、空気感が透き通り始める感じ。これが心地よい。
四季の移り変わりを楽しめるのは、アウトドアホビーを行うメリットでもある。
さらに季節が進行すると、朝夕マズメの時間も寒くなっていき、10月下旬にもなってくると、吐く息が白くなるような日も出てくる。
そんなとき、「あぁ、これからどんどん寒くなっていくんだな」などと情緒的な気分に浸りがちになる。
そして、ふと「冬」の存在に気づく。
毎年この繰り返しだ。
消えゆく夏の存在と、秋の足音
「9月」は夏と秋に板挟みにされているから、どことなくどっち付かずな時期かもしれない。
釣り的には「中途半端な時期の9月」などと ぞんざいに扱われがちだけど(僕だけだろうか)、
「これから少しずつ下降していきまっせ。過ごしやすい日も増えまっせ」
という感覚は、9月ならではの魅力なんじゃないかなと思う。
釣りの内容も変わってくる
8月はトップ系ルアーやワームが中心となる時期だったが、秋が深まっていくにつれて、いろんなタイプのハードルアーに出番が訪れ始める。
紅葉が混じる景色の中、スピナベやクランクなどを投げていると、今自分が生きている”その瞬間”は、間違いなく「秋」なのだと強く感じたり。
まとめ:9月は残暑があってシンドイときもあるけど、何だかんだ好きです。
バスフィッシングに取り組むようになってから、昔より「季節の進行」に敏感になった。
そりゃそうだ。
水温やら何やらを確認したりしているんだもの。
バスフィッシングが僕たちに与えてくれるのは、釣果や勝利だけではない。
9~10月にかけての、「そろそろ秋でっせ」感が好きだ。