【紛争の件】正直、「楽しもう!」という気分にはなれない時期だが、僕たちは”日常”を過ごすしかない。いつも通り過ごそう

正直、「楽しもう!」という気分にはなれない時期だが、僕たちは”日常”を過ごすしかない。いつも通り過ごそう

戦争とウイルスをきっかけに、心身不調を起こす人が多いらしい

現在、ロシアとウクライナの戦争が行われています。
遠い異国の土地の出来事ではあるものの、戦争が起こっているというのはとても残念なことです。

当戦争のニュースなどを見たのがキッカケで、心身の不調をおこす人もいるようです。
個人的にも、両国の戦争がはじまったことあたりから、心身のコンディションがよろしくありません。

くわえて、収まる気配のないウイルスの存在。
自分の将来、いや、世界の将来がどうなるかわからないという状況下で、魚釣りやらゲームなどを楽しんでいる場合ではないのでは…という気持ちが強くなりました。

思い詰めすぎはよくない。とはいえ…

しかし、最近の僕はほぼ休みなく働き続けているような気もします。
たまには息抜きに釣りでもいこうかと思い立つのですが、どうにも気が乗らず。

気が乗らない理由には、1匹釣るのも難しい時期だからというのもあるけれど、「今このご時世、自分だけ遊んでいていいのだろうか…」と自分を責めるもう一人の自分がいるからです。

そしてさらに、「貴様、金儲けにうつつを抜かしてていいのか」と自分を叱咤する自分と、『綺麗事なんていくらでも言える。生活するためにお金は必要なんだよ』と言い返すもう一人の自分もいる。一体、何人いるんだ。

僕たちは、今日も明日も、いつも通りの日常を過ごすしかありません。
僕ごときに一体何ができるというのか。なにもできやしない。こうして文字をカタカタと打つくらいしか、僕にできることなどないのだから。

僕たちは、普段通り過ごすしかない。平和を願いながら。それだけで十分なんじゃないか。

いつも通りの仕事し、”いつもの日常”を過ごすしかない

この度の戦争がきっかけで、東日本大震災のことを思い出しました。

今から10年くらい前、まだ僕がプロの舞台俳優をやっていたころの話です。
当時、舞台の稽古をしていたときに福島で震災が起きました。

不安、絶望、恐怖、悲哀などのネガティヴな感情と隣り合わせのなか、俳優たちは本番に向けて黙々と稽古をおこなっていました。
そうするしかありません。僕たち俳優には、そうするしかなかったのです。

しかし、震災発生から時間が経つにつれ、のんきに稽古や本番やらを行っている自分自身に嫌気がさし、僕は先輩に「なんか、こんなことをやっている場合じゃない気がするんです」と訊きました。
すると、先輩はこう言ったのです。

「たしかに事態は深刻だ。でも、俺たち俳優は、演技をするのが仕事だ。精神的に辛いとは思うが、俺たち俳優にできることは芝居しかないんだ。いつも通り、仕事をこなすしかない。俺たちは演劇をやるしかないんだ」

僕たち一般人は無力です。
だから、いつも通り仕事をこなし、いつも通りの生活を続けるしかありません。平和を願いながら。

まとめ

思い詰めていては心身を消耗してしまいます。
大事に至らないためにも、いつも通りの日常をすごしつつ、休みは趣味をするなどしてのんびり過ごしたいものですね。

しかしながら、人は人生の窮地に立たされると、当たり前にあったはずの”日常”が、実はとても大切なものであったと気づくのだと痛感します。

友達と遊んだり、たわいもない事で笑い合ったり、上司の小言にイラっとしたり、ネット上で見かけたコメントに腹を立てたり、あるいは共感したり。

釣りをしたり、ゲームをしたり、美味しいものを食べて感動したり。

家族と幸せなひとときを過ごしたり、「あぁ、今日もダラダラしてしまった…もったいない時間を過ごしたなぁ」などと自己嫌悪したり。

これらすべて、”平和”が前提にあるからこそ体感できることだったのだ、ということに気付かされます。

僕たちは、今日も明日も、”いつも通りの日常”を過ごすしかない。
未来がどうなるかなど誰にも予測できません。
だからこそ、僕たち”異国の土地の人々”は、平和を願いつつ、普段通りの生活を続けるしかないのかもしれません。