新年のご挨拶
みなさま、2022年の新春をいかがお過ごしでしょうか。
謹んで新春をお祝い申しあげます。
旧年中はご観覧いただき、誠にありがとうございました。
今年も引き続きブログ執筆をおこなう所存でございますので、どうぞよろしくお願い申しあげます。
本年も皆様が御健勝で御多幸でありますよう、心からお祈り申しあげます。
「まいんどくえすと」管理人 たま
現状について思うこと。希望を抱けない状況について思うこと
人生の路頭に迷ったときほど、自分のココロに従うことを忘れてはならない。そんなことを考えながら2022年を迎えました。
去年はコロナの影響もあって人生が変わってしまい、思うように動けずにいた人も少なくないはず。
僕自身もそのうちの一人で、生活そのものが一変し、人生にたいして希望と目標がさだまりにくく辛いものがありました。
一時的に落ち着いたコロナウイルスですが、去年末から新たに”オミクロン株”が出現。
「やっとコロナが収束したぞ!わぁい!人々の未来にようやく希望が…!」などと気持ちを落ち着けたのも束の間、第6波に怯える日々が続いています。
2022年、どうなるかまったくわかりません。半年後には自分が死んでいるかもしれない。
正直なところ、「早く死にてェ。死んで楽になりてェ…」という気持ちが脳裏をよぎることだってある。
もちろん、辛いと感じているのは僕だけではなく、みな同じ。ただ、やっぱり辛いものは辛い。これもみな同じ。
先のことを考えれば考えるほど辛くなります。
不安だからと未来を予測しようとしたり、結果から逆算しようともがくほど沈んでいく。
しかし、どれだけ思考を巡らせたところで未来のことなど誰にもわかりません。誰もがコロナを予測できなかったように。
以前、僕は順風満帆なサラリーマン生活を送っていましたが、体調不良で退職したという経験があります。
僕の力不足ということもあるものの、先のことなど予測できないのだということを学びました。
自分の人生の先に広がる未来を100%の精度で予測することは不可能です。
先のことが読めるのなら、僕はいまごろMTVやミュージックステーションで人気ミュージシャンをやっていることでしょう。
コロナウイルスの出現により、人生の舵を切らざるを得ない窮地に立たされた人もいることと思います。
そうではなくとも、希望を抱きにくく、メンタルを崩してしまう人もいるんじゃないでしょうか。
では、未来のことを考えて希望を抱くことが難しくなった昨今、僕たちはなにを希望に生き続ければいいのか。
ここで大切になるのは、「自身の価値観に従って生き続けること」だと考えます。
「どう成りたいか」ではなく、『どう在りたいか』だ。
精神的に追い詰められた去年でしたが、気づいたことがあります。
それは、「自分の人生におけるテーマや目標を、自分の価値観で追行し続けることを忘れるべからず」というものでした。
目先の結果ばかりを追い求めるのではなく、自分の価値観でものを考えて選択し続けること。ここを忘れてはならないな、と。
人生という名のマラソンにおいては、ほかの人間がさまざまなヤジを飛ばしてきます。
僕もこれまでにたくさんのヤジを飛ばされてきた人間ですが、迷ったときほど『自分の価値観で選び、行動する』という本質を見失ってはなりません。
ほかの人たちが金持ちになって出世しようが、幸せな暮らしをしていようが、そんなものはひとまず置いておく。
他人には他人の人生があり、自分には自分の人生があるのだから気にしなくていい。
自分自身が「これでいい!オレはこれが”良い”んだ」と思える道を歩めているのなら、それでいいじゃないか。
死ぬ直前に「オレの人生、まぁまぁ楽しかったなぁ」と満足できそうな生き方ができているのなら、それでいいじゃないか。
ほかの人たちのペースに流されず、とにかくマイペースにコツコツと、地道にやっていければそれでよし。
「どう成りたいか」ではなく、『どう在りたいか』だ。
「成る」は未来、『在る』は現在。
このマインドが不安な未来から自分を遠ざけ、”今この瞬間”に気づきを与えてくれる。
自分の未来は、”今”の充実がベースとなっているということ忘れちゃならない。
●小手先のノウハウよりも、「人生経験、自身の価値観」
昨今は小手先のテクニックやノウハウばかりに走ってしまいがち。
ネットに転がっている情報の質はさまざまで、振り回されてしまう人も少なくないでしょう。
だからこそ、情報を鵜呑みにするのではなく、自分の経験や価値観をベースにした生き方を見失ってはなりません。
脳に入ってくる情報量が膨大であるため、自身の価値観を見失いやすい構造の世の中になったといえます。
「で、私はどうしたいんだっけ?え、わからない…」なんてふうに、自分の意思や”価値観”を蔑ろにしやすい。
情報の”カモ”にされてはいけません。
情報は取捨選択するべきものであり、情報量はコントロールするべきものです。
また最近は、「コツコツと努力することはダサくて非効率」だとか「結果・数字・成功しなければ無価値」というような風潮が強くなりました。
僕はこの考えかたについて異論を唱えます。いや、半分正しいとは思っているけど、半分は間違っている、というのが正確な表現になるのかもしれない。
これを「昭和の価値観ww古っww」などと揶揄する人も少なくないでしょう。
結果を出すことのみが自分の人生を豊かにする方法だと勘違いしないように気をつけたいものです。
目の前の光景に転がっている”小さな幸せ”に気づける人と、幸福な記憶を大切にできる人こそが本物の『幸福なニンゲン』なのだと僕は考えています。
まとめ
2022年が幕開けしたので、個人的に思っていることをつらつらと書きました。
勝利、数字、金、権威ばかりを追い求め、自分自身の気持ち・心情・価値観がボヤけてしまわないように。
これが個人的な2022年のテーマ・目標です。『どう在りたいか』をもう一度見つめ直したいです。オマエの価値観、実際どうなの?と問い続けたい。
人生というマラソンを充実させたいのなら、周囲にいる人たちに幸福を与えられる人間になりたいのなら、かならずしも名誉は絶対的なモノだとはいえません。
金持ちや有名芸能人が不正や自殺をすることが、それを物語っています。