以前、上手いアングラーにバス釣りを教えてもらったときのこと
そのアングラーはフリップ(カバー撃ち)をメインに釣りをする人だった
彼はトーナメントにも出場していて、お立ち台に上がったこともある
しかし、彼のまわりには「カバー撃ちオンリーは”逃げ”だよ。ライトリグもやらなきゃ”逃げ”だ」と言う人もいたらしい
彼自身は「まわりはとやかく言うが、オレはフリップで勝ちたい」と言っていたが、最終的にはライトリグも練習するようになった
彼とは疎遠になってしまったため、今はどんな釣りをしているのかはわからないが、今はトーナメントには参戦していないようだ
「俺はフリッパーだから、ライトリグはやらねぇ」というのは、逃げなのか
ストロングな釣りを良しとし、フィネスを見下す姿勢は「現実逃避」なのか
「好きなこと」を極めるのは、”逃げ”なのか
1つの釣りを極めるタイプのアングラーはたくさんいる
たとえば、スピナーベイトをメインに釣りを構築するアングラーのことを「スッパー」と呼ぶ
シャローカバーのフリップ(カバー撃ち)メインの人は、「フリッパー」
トップウォータールアーをメインにする人は、「トッパー」
一つの釣りをやり込み、熟練度をあげ、自分にしか釣れない魚を持つアングラーを、僕は尊敬する
しかし、人によっては「逃げ」と解釈することもあるだろう
近年はフィネスリグで釣り勝つアングラーが多い
フィネスリグを使わなければリミットメイクすることも出来ないからだと思う
カバー撃ちに傾向していれば、「俺はフリッパーだから」という逃げ口上が成立する
「俺だってフィネスをやれば勝てるんだ…でも俺はフリッパーだからやらない」と、自分のなかに可能性を残しておけるからだ
「実はフィネス入れてもオマエは釣れないのだ」という現実から逃げるために。
「俺はフリップスタイルだからやらねぇ」というスタンスと、「フィネスに可能性の残して、逃げのフリップスタイル」というスタンスでは、方向性が違うが…。
この心理状態について、「嫌われる勇気」という本では、以下のように語られている。
【なぜ自分のことが嫌いなのか】
彼女の悩みは赤面症でした。人前に出ると赤面してしまう、どうしてもこの赤面症を治したい、といいます。
そこではたしは聞きました、「もしもその赤面症が治ったら、あなたはなにがしたいですか?」
すると彼女は、お付き合いしたい男性がいる、と教えてくれました。密かに思いを寄せつつも、まだ気持ちを打ち明けられない男性がいる。赤面症が治った暁には、その彼女に告白してお付き合いをしたいのだ、と。
(中略)
彼女にとって、いちばん怖しいこと、いちばん避けたいことはなんだと思いますか?
もちろん、その彼に振られてしまうことです。失恋によって、「わたし」の存在や可能性をすべて否定されることです。
思春期の失恋には、そうした側面が強くありますからね。
ところが、赤面症をもっているかぎり、彼女は「わたしが彼とお付き合いできないのは、この赤面症があるからだ」と考えることができます。
告白の勇気を振り絞らずに済むし、たとえ振られようと自分を納得させることができる。
そして最終的には、「もしも赤面症が治ったらわたしだって……」と、可能性のなかに生きることができるのです。
(文章引用:「嫌われる勇気」64~65頁より)
僕はライトリグをあまりやらない
それは逃げなのだろうかと考えた
ライトリグの釣りと向き合わないことで、自分のなかに可能性を残しておける。たぶん、これは”逃げ”なんだと思う。
先日、ライトリグを使って津久井湖でデカバスを連発させている人を見かけた
僕はストロングな釣りを押し通した結果、清々しいほどのボウズだったのだが、「まぁライトリグ出せば釣れる確率はあがるわな」と僻んでいる自分がいた。
はっきり言ってダセェなと。自己嫌悪してバッテリーをひっくり返してしまった。
ライトリグをやり込むことで叩きつけられる”現実”
ライトリグを使わないことによって、可能性を残しておける。
「オレだってライトリグを使えば釣れるんだ…!」と。
僕はカバー撃ちがそこそこ得意だ
しかし「オレだってライトリグをやれば釣れるんだ…!でも俺はフリッパーだから!」というのは、”可能性のなか”に生きている状態なのかもなぁと思った
はっきり言って、自分が”本当はたいして上手くない”という現実を直視したくない(笑)
だからライトリグを使わず、ストロングなカバー撃ちや底物に逃げいているのかもしれない
さっさと自分を「普通のアングラー」だと認めてしまい、やるべきことと向き合ったほうがいい
ライトリグをやってみて、意外と難しいという現実を知ればいい
というか、かなりやり込んだのだが、現実はそう甘くはなかった
ライトリグを入れたからといって、誰でもボコボコに釣れまくる!なんてことはまずあり得ない。
『ライトリグもしっかり自分の釣りに取り入れないと、まともな釣りができなくて辛いですよ』
この現実と向き合いたくないから、受け入れたくないから「カバー撃ち」の釣りに逃げているのかもしれない
まぁ釣りは趣味なのだから難しく考えなくてもいいのだが…
アングラーとして上手くなりたいのなら、自分がどんな方向性で成長していくべきなのかは考えたほうがいいなと。
人生にかけた時間は戻ってはこない。
同じ1年でも、しっかり向き合うのと、ボーーーっと釣りをするのでは、得られる体験の濃さに違いがうまれる…ハズ。
でも、たまには何も考えずにボーっとしたい。なんちゅーワガママな野郎だ僕は。自分というニンゲンがよくわからなくなってきた。
ギタリストのプレイスタイルは「逃げ」なのか
(画像:Wikipedia「スラッシュ(ミュージシャン)」より)
僕はガンズ・アンド・ローゼズというバンドのギタリスト・スラッシュが好きだ
彼のプレイスタイルはブルースロック主体なのだが、彼はテクニカルな速弾きスタイルを自分のプレイに取り入れていない(現在は速いが…)。
また、オジーオズボーンバンドやブラックレーベルソサイエティのギタリストであるザック・ワイルドは、ペンタトニックスケールと呼ばれるフレーズを使うスタイルで有名
ペンタ(トニック)一発で豪快なギターソロをブチかますのは彼ならではの魅力だ
しかし、理論派ギタリストからすると「楽でいいね」だとか「知的でない」だとかいう奴もいるんじゃないか
スラッシュのブルースロックスタイルや、ザックのペンタトニック主体のスタイルは、はたして「逃げ」なのか
僕は、違うと思う。
彼らには、彼らなりのスタンスがあり、人生観やギター観があり、それを追求している
バスアングラーにも、さまざまな人生観や釣りスタイルがあり、さまざまな釣りスタイルを追求する人がいる
さまざまな可能性と死にものぐるいで向き合った結果、彼らのプレイスタイルがあるわけで、それは決して「逃げ」などという軽いフレーズで表現できるものではない
自分自身の信念を忘れてしまってはダメだ。
ほかの奴らはこう言っている、だとか
一般的にはこうするのがベストだ、だとか
勝つために、金を稼ぐために、得をするためには〇〇すべきだ、だとか
そういう外的な要素ばかりが人を動かすわけではないし
損得勘定がうまければ人の心を動かす作品が作れるかというと、必ずしもそうではないんじゃないか。
「他のやつらはこう言っているけど、実際のところ、自分はどう思っているのだろうか」
ここと向き合わなければ、死ぬ直前になって「あぁ、俺の人生なんだったんだろうか」と後悔するハメになる。たぶんね。
■参考文献