【”猫”との対話】釣りのモチベが上がらないので、愛猫さまにアドバイスを伺ってみた、の巻

最近はバス釣りにたいするモチベが上がりません。

コロナの影響なのか、それとも僕自身が”覆せないレベルの飽き”を感じているのか…。

そこで、我が愛猫様と対話してみることにしました。自己対話ともいいます。


はぁ…なんかバス釣りのモチベ上がらないなぁ…
たま
たま
どうしたのですか?しょうもない顔をして…
コロン
コロン
たま
たま
しょうもない顔とか言うな。いやぁ、なんだかバス釣りのモチベが出なくてさぁ…
まぁコロナとかで色々ありますからね、今はメンタルも上がりにくい時期ともいえます。
コロン
コロン
たま
たま
釣りに行きたいキモチはあるんだけどね。なんか「釣っても意味なくね?美味いもん食ったほうが幸せじゃね?」って考えちゃうんだよね。あんなに夢中だったのに…

☆ヒトという生き物は、「優先順位」をベースに生きている

あなたの中での「優先順位」が変わってきたのかもしれませんね
コロン
コロン
たま
たま
優先順位?
そう、優先順位。あなたの中で、なにを大切にしているかのランキングが変動してきているのかもしれません
コロン
コロン
たま
たま
…確かにそうかも。魚を釣って、人と競うとか、デカい魚を釣ってサイズを自慢するとか、そういう競争からは身を引きはじめている感覚があるなぁ…
もともとアナタは競争が得意ではなかったし、ぶっちゃけ”いいね”欲しさにやっていたところもあるんじゃないですか?ブログで自慢するためにやっていた、とか。
コロン
コロン
たま
たま
う…図星カモ…
「ブログのために」とか「売り上げを伸ばすため」とか、「どこかの誰かさんを見返してやる」などという欲望と競争からは、距離をおきなさい。私利私欲に飲まれてはなりません
コロン
コロン

☆「バス釣り」というアソビを私利私欲のために利用していた…?

たま
たま
わかってはいるんだよ。でもさぁ、マウントとられたり、陰口叩かれてたり、バカにされているんじゃないか…って考えると、なんかめっちゃ悔しいやん。
「悔しさ、復讐心」はアナタを動かすモチベーションにはなるかもしれません。しかし、復讐を終えたとき、アナタには何が残っているのでしょうか
コロン
コロン
たま
たま
「ほれみろ、やってやったぞ!ざまぁみろクソッタレめ!」って感じで気持ちよさを感じて…え〜っと…それで終わりかも…
復讐を終えたアナタは、怒りの矛先をむけるための次のターゲットを探し続けるハメになるでしょう。「見返してやる」という言葉は美しいフレーズだと思われがちですが、『復讐心』はアナタの心にシコリとなっていつまでも在り続けてしまいます。「誰かのための人生」を生きるのではなく、アナタ自身の人生を歩みなさい
コロン
コロン
たま
たま
バカにされたままで構わない、と言いたいんすか?
そうです、バカにされたままで構いません。あなたは、あなた自身の人生を歩まねばならない。
コロン
コロン

☆自分の中にあった「見返してやる!」という気持ちが、”自分らしい人生”のジャマをしていた

たま
たま
負けたまんまで生き続けろと?一生ナメられたままでいいと?そう仰っているのか?
そうです、一生ナメられたままでいいのです。アナタは誰かからの評価や意見を気にしすぎている。承認欲求は良くも悪くもアナタを破滅の道へと誘うでしょう
コロン
コロン
たま
たま
「相手を見返す」というのは、承認欲求でもあるのか?オレはずっと他人からの賞賛をもとめていたのか…?
アタナはこれまで、辛いことをたくさん経験してきました。しかし、これからはアナタ自身の人生を構築していかなければなりません。もう「誰かを認めさせる・わからせてやる!」というマインドを捨て、アナタ自身の”道”を歩む時期が訪れているのです。というか、そもそも誰もアナタに注目していません。これが現実です。
コロン
コロン
たま
たま
そんなこと言われたって、なにがしたいのかわらかないし、何をするべきなのかも検討がつかない。他人ありきの人生というか、他人ありきの選択をしてきた人生だった気がするから。
それだけアナタは「他人のための人生」を生きていた、ということです。焦る必要はありません。アナタ自身が、心から『好き!』と思えることを探していきなさい。
コロン
コロン
たま
たま
僕はバス釣りが好きではなかったのかな…?
それは私にはわかりません。ひとつだけ言えるのは、アナタは「上達するために本気だった」ということです。その気持ちだけは信じてあげてください。ただし、不要な競争からは身を引きなさい。誰とも戦わないでください。「アナタ自身の釣り」を追求しなさい。私から言えるのはこれだけです。
コロン
コロン
たま
たま
誰とも戦わず、争わず、自分のために釣りをする…。う〜む、難しすぎてアタマが痛くなってきた。
それでいいのです、間違っていません。大切なのは「自分と向き合い続けよう」という意識を持つことなのです。
コロン
コロン

…というわけで、愛猫からありがたいお説教(という名の自己対話)をいただきました。

最近はバス釣りにたいするモチベーションがダダ下がり中でしたが、いかに自分が「ブログのため、数字のため、釣果のため、誰かのため(競争心)」といった”他人ありき”のアクションをとっていたのかがわかった気がしました。

そういえば、ちょっと前に元JBTOP50プロの北大祐氏が、以下のようなことも言っていました。

バス釣りは、あなたを目立たせるだけの”道具”なのか?

誰かから認めてもらうための便利なツールなのか?

それでいいのか…うんぬん(うろ覚え)

たしかインスタでの発言だったかと記憶していますが、どうやら消されているようで確認できませんでした。見間違い、勘違いだったらすみません。

この北氏の言葉にえらく感動しまして、いろいろと考えていたんですよね。

もしかしたら、僕はバス釣りを私利私欲のために活用しているだけなのではないか、と。

チヤホヤされればそれでOKだったんじゃないか、”いいね”やPV数が稼げればそれでOKっていう考え方だったんじゃないか、と。

かならずしも「他者からの賞賛をもとめて取り組む」というのが悪ではないと思いますが、少なくとも僕自身にとっては、承認欲求をベースとしたバス釣りは居心地が悪いような気もします。

「自分のための釣り、楽しむための釣りをする」などと書くと大袈裟かもしれませんが、とりあえず『楽しければいいんじゃねーの?』と感じられる釣りをしたい。

なんというか、新鮮で楽しさを感じていた”あの頃”のキモチを取り戻したいなぁ。