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野池で久々にベイトフィネスの釣りをやってきた。
リールはシマノのアルデバランbfs。
ここ最近は低価格のリールばかり使っていたが、久しぶりにフラッグシップモデルを使ってみると性能の違いを改めて実感する。
格安リールを使っているときは「安いリールでも十分使えるよな」などと感じていたが、「やはり高級品は良いな」という相反する想いが自分の中に存在していることに気づく。
【雑記】高級リールも良いし、安物リールも良い。
高級品と格安品。
飛距離はそこまで変わらないが、キャスティングの安定感、トラブルの少なさ、クラッチを切った感覚、ブレーキのかかり方などなど、低価格モデルと高級リールには差があることを体感した。
低価格品には低価格品なりの良さと悪さがあり、高級品には高級品なりの良さと悪さがある。
僕個人としては、どちらが「正解か、悪か、優劣か」という観点で物を見ないようにしている。
どちらも良い。気が向いたときに好きな方を使えば良い。ただそれだけ。
所詮は趣味である。自分の心の赴くままに取り組んで、楽しめればそれでいいじゃないか。
道具選びに関しては「好きなのを使えば良い」という心向きである。
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どっちが正しいとか、間違ってるとかは無い
人間はどうして対決の構図を作りたがるのだろうかと不思議に思っている。
ロッドやリールの評価をするときもそうだが、「〇〇のほうが優れている、〇〇の方がコスパ的に見て優秀」…といったような論理的な解釈、というか論争も、ネット上では巻き起こっている(僕個人も含め)。
どちらかの考え方が間違っている。
私が正しい。あなたが間違っている。
どっちも正しい。これだけ。
私とあなた、全く価値観が違っていてもいいじゃない。
全員正しい。自分の心に素直に取り組めればそれでいいじゃないか。
それじゃダメなのか?
そもそも人の数だけ価値観が存在するというのにも関わらず、ルールや正解が定められていないコミュニケーション内において、「正しいか、そうでないか」を白黒ハッキリさせようとすること自体が、事態をややこしくさせている原因なんじゃないかとも思う。
スポーツのような競技にはしっかりとしたルールがあるから競争が成立するわけであって、人と人の心のやりとりの「コミュニケーション」というものにおいては、正解とか勝ち負けなんてものは存在しないんじゃないかと思ったりする。
・優秀か、劣悪か。
・勝つか、負けるか。
・質が良いか、質が悪いか。
メンタルの研究をしていると、どちらか側に極端に傾こうとする心理的な傾向が、人の心にはあるように思う。
白黒ハッキリしないと気が済まない。それが人間のもともと持っている資質なのかもしれない。
だから競争は無くならない。
戦争も無くならない。
-相手が間違っている、自分は正しい-
こういう思考を持つ人間がいる限りは、この世から争いなどなくならないだろう。
安物リールも良い。
フラッグシップリールも良い。
各々、個性があって良い。
それでいいじゃないか。
優劣とかは一旦置いておいて、せっかくの趣味なのだから、とりあえず楽しく取り組みたいものである。